虚用叢

見渡すかぎりうつろなくさむら

僕ら連れ去る時の訪れ

 近年描いていた人生における最終目標は「孤独に死ぬ」ことである。が、修正してもよいかもしれないというか、考えが足りない部分があったと少し思えてきた。

 わたしは幼少から徹底した秘密主義だった。ミステリアスな人物はカッコいい、ウソはつきたくないが見栄は張りたいので汚点は隠しておく、たぶんそんなところからである。話すと不利になる、チームの雰囲気を乱すといった理由でわざわざ言わないことのひとつやふたつ誰にだってあるだろうが、本当にどうでもよいことまで半ば無意識にお茶を濁してしまうのだ。この幼稚な習性が児童期に終わってくれていればよかったのだが、残念なことに今でもなかなか直らない。

 秘密主義者にとっての最大の危機は、自らの死である。秘密を「墓まで持っていく」なんて言い回しもあるが、実行は容易ではない。隠してきたあらゆる自身の情報が知人に流出する危険性が、生前より格段に高まると考えるべきだ。

 そこで打ち立てられる目標が、冒頭の「孤独に死ぬ」ことである。上記の危機への究極の防衛策として、はなから知人を作らないのである。墓の中で墓を防衛することが不可能であるのなら、そもそも墓を荒らしに来るような親しい知人を持たねばよい。強い長生き願望もひとつはここから来ている。親より先に死ぬわけにはいかないし、希薄な人間関係を自由に謳歌できる成人以降を引き延ばすほど、誰からも忘れられる人間となる見込みが立つ。

 ここまでわたしは確固たる孤独の道を歩んでいるつもりで、しかしながら自己矛盾も浮かんできた。わざわざブログやTwitterを立ち上げて自身を赤裸々に語っていること、授かった交流に心を救われていることに気づいたからだ。特定のあなたに向けて話すというかたちではないが、好きに書いたありのままが好きに読まれたり読まれなかったりして、わたしははじめて心を通わせる経験をした。

 興味深いのは、この安寧が匿名性とは関係ないことだ。実際のところ、今のフォロワーが墓を荒らしに来るほどの関係ではないという点はさておき、本名やら住所やらが知られて会いに来られたとて、何ら不安を感じない。怖れるのは身バレではなく垢バレであり、たとえば同僚にこのアカウントを知られたと想像すると途端に青ざめる。

 フォロワーのブログを読んで、わたしにとっての幸せとは何だろうと考えている。

kirarajump.blogspot.com

しあわせ〔「為合せ」の意〕
1.【仕合せ】運命のめぐり合せ。「有難き⸻」
2.【幸(せ)】⸻な、⸻に 〔その人にとって〕幸運(幸福)であること。また、その状態だ。「⸻をつかむ」 ※「倖」とも書く。

こううん【幸運】⸻な、⸻に 物事が偶然に自分にとって都合のいいように運ぶこと(様子)。しあわせ。「⸻に恵まれる/⸻にも入賞した」 ⇔不運 ※「好運」とも書く。

こうふく【幸福】⸻な、⸻に 現在(に至るまで)の自分の境遇に十分な安らぎや精神的な充足感を覚え、あえてそれ以上を望もうとする気持ちをいだくことも無く、現状が持続してほしいと思うこと(心の状態)。「思えば⸻な一生だった/しみじみと⸻(感)を味わう」

山田忠雄ほか『新明解国語辞典 第七版』

 どこかネットにおける標語的な印象を持っていて使用を避けていた「幸せ」ということばであるが、「幸福」と言い換えてみると、今のわたしはじつに幸福なのだと思い至った。持続してほしいと思っている現状にフォロワーとの交流はまちがいなく含まれている。隠し事をしてしまうような知人は遠ざけたいというだけであって、本当に孤独こそが至高なのだろうか。

 ここで、匿名性は脱秘密主義の条件ではないことを思い出す。これまで眼中に無かった実生活実人物での交際、ひいては同居や結婚といったイベント、関係性が成立しうるというのか。正直なところ、現在はネット上での交流以上のものがほしいとも思わないし、たとえば結婚が今以上の幸福を見せてくれるとは想像できない。ただし、わからないからといって全否定することもないのだ。

 相手に多くを求めるつもりはない。鴻上さんの言う「おみやげ」関係はひとつの理想だと思う。順番はどうあれ、先に死んだ方はありのままを遺し、後で死ぬ方はそれをありのままに受け取る。そんなひとが人生にひとりくらいいてもいいのかもしれないね。

toyokeizai.net

2022/11/5

 暇なので、ポケモンソウルシルバーで殿堂入りした。ワタルが記憶よりずっと強かった。ちょっと育てすぎたかなと戦闘中の持ち物以外の道具使用を縛ったものの、2回も負けるとは思わなかったよ。勝ち抜きルール、技マシンの濫用を避ける、秘伝要員を設けずにフラッシュ・ずつき・あなをほるを含めたフィールド技を網羅した6体全員を育てる、これくらいでも十分、選んだポケ次第で案外苦戦するものなのだね。

プレイヤー名をネット上のHNにしておいてよかった(本名プレイ勢)。

 最終的な平均レベルが45.5、そらをとぶ以外のフィールド技を覚えずに技スぺが余っていたひきゃく(オニドリル)にまもるを覚えさせれば、オウムがえしが有効活用できてもう少し楽だったかもしれない。それからメガニウムチコリータのまま進化させずに育てたのにろくな草技を覚えなくて困った。たねばくだんでもエナボでもリフストでもくさむすびでもギガドレでもよかったのだが。けっきょく貴重なハートのうろこを消費し、足りない特攻ではなびらのまいを打ってがんばった。

 しかしまあ、暇になったものだなと(2回目)。ソウルシルバーは中学時代のゲームであり、人生で最もはまったゲームであり、このたび初のセーブデータリセットをするのに小さくない決心をしたものだったが、のんびりと殿堂入りする間に54時間、はや前データプレイ時間の1/10相当が経過している。

 生真面目に学業、部活に勤しんだ後、寝る間も惜しんで孵化厳選、休日は友だちと互いの家に集まって対戦、おもえばあのころは忙しかった。

 多少ふだんより洗濯物がたまっていたり、部屋が散らかったりはしているが、三食食べて、8時間寝て、アニメもそれなりに見て(今期も豊作すぎだろ)、ついでに慎ましい労働もしてなお、ゲームができている不思議。もしこの時間に一切の罪悪感を覚えなくなったら、それはもう、クリアかリタイアかはさておき人生の消化試合に入ったといえるかもしれない。

 同じく中学時代、わたしは故事成語や四字熟語に傾倒していて、当時好きだったことばはクラスメイトの名前より忘れていないものだ。そのひとつに、小人閑居して不善を為すがある。いま、わたしが独り、暇を持て余してなしている不善がせいぜいゲームで済んでいるなら、まあいいか。

 さて、カントーはもう少しサクサク回ろうと思っている一方、まったくやるつもりのなかったバトルフロンティアがいざ開放されてみると、ちょっとやりたくなってしまっている。新ハード買って、新作買ってとしても間違いなく楽しめるのだろうが、こうして旧作も無限に遊べてしまうのが、現代の恐ろしさよ。

 ちなみに、GTSで一人通信進化ができると知って、ググりながら家のWi-Fiの2.4GHz帯のネットワークの暗号を脆弱らしいWEPにわざわざ変え、Wiimmfiを利用してWi-Fi通信ができる環境を整備した(導入が遅かったこともあり、けっきょく旅パには通信進化ポケを加えなかったのだが)。これ、ネットで知り合った人と通信ができるという、少年時代からすれば夢のような環境にあると気付きました。交換でも対戦でもいつでも準備OKです。

ともだちコード:4601 6336 9983

22年度上半期を振り返る

 私生活ブログでの直近の振り返り記事というと、1年単位で年末に書かれているイメージが強い。わたしもそれにならって冬まで執筆を待とうかとも思ったが、いろいろと変化があったのが年度の切り替わりに集中していること、その時期からきりよく半年経ったことをうけて、いま書く。

労働

 人生で最も大きな変化のひとつが、この春に起きた。週3のパートではあるが、初めて定職に就いたことだ。当初の不安、自信と期待のなさ、無力感は過去のエントリーを読むと鮮明に思い出される。たった半年の間に、自分よりあとに入った4人のうち3人が早々に辞めたり、資格を取ったり、フロアのご利用者の9割が有症状者となったコロナの集団感染に絶望したりと、多くの経験をした。

 学生時代、就活ではピンと来なかった、いや、いまにして思えばまったくつかめていなかった労働観であるが、多少は形成ないし自覚できてきたように思う。わたしにとって労働において大切なのは、第一に収入。どんなきれいごとを並べてもこれがないと始まらない。とはいえ額はあればあるほど良いかと問われると難しくて、最低限無理のない生活が維持できるだけのお金、ようは満足している現在の生活が未来も続くだろう見込みを持つ安心が得られるかが肝であるように思う。労働行きたくないとは夜も朝も思っているが、今日でまた1万手に入るならまあ良いかの精神で歩いている。

 せっかく人生の大半の時間を強制的に消費させられるのだから、趣味かどうかはさておきお金以外の実益は得たいとも思う。ここで言う実益が指すものは幅広く、いかなる業務であっても何の実益も返ってこないなんてことはないが、その価値は人による。

 わたしが得ている実益を挙げると、ひとつは徒歩通勤も含めた運動で、極度の出不精ひきこもり体質には大きな価値がある。コミュニケーション能力、協調性…はそうでもないかも。嚥下体操で滑舌が良くなった気がするのと大きな声が出せるようになったのは地味にうれしいかもしれない(しょぼい?)。もしお金がもっと欲しくなって労働時間を増やすのなら、逆に運動過多になって実害に変わりかねないので、その点でまったく別の職を考えてみたい。

収入と支出

 一番大事だと書いた収入であるが、ボーナスやら残業やらで半年前の予測よりは多い。ただ、支出も昨年度より増えている。年度でかかる奨学金等に0.5倍を掛けて足した4月から9月までの支出が94.1万、給与収入が80.5万、じつに13.6万の赤字となった。ヤクザ価格の介護福祉士実務者研修の今回きりの10万を差し引けば、最低限の収支にはなっているかなという感じ。

 ところで、給与を手取り額で扱う便利さは理解しているつもりだが、社会保障介護保険で生かされている職業人としても、総支給額で考える方が良いじゃんと思う。人並みの所得がない身で恐縮だが、わたしはこれだけ国に納めているぞという主張も大事だし、税金も長い目で見れば収入みたいなものと思う方が健全じゃないだろうか。

2022.4-9の家計

ラブライブ!スーパースター!!

 1月からのアニメ1期の再放送を見て以来、ラブライブ!スーパースター!!のファンである。話題が変わったようでいてやはり引き続きお金の話になるが、娯楽費10万円余りのうち、CD・曲代2.9万、チケ代2.2万、グッズ・書籍代2.1万、アニメBD代1.1万で、実に8.3万円をスパスタが占めている。

 下半期にも3rdライブツアーの大阪の2公演には最低でも行きたいし、アニメ2期BDの残り4巻分、いずれは1期の全6巻もそろえたいと思うと、スマホゲームおよび課金を辞めたことを差し引いてもこの先も家計を圧迫するのは明白である。とはいえあくまで支払い能力とのバランスが問題なのであって、過去の課金含めて娯楽費に後悔はまったくないのだが。初めてのオタクライブ、初めてのアニメ円盤、ラブライブ!スーパースター!!とともに人生を進めている。

 楽しみにしていたアニメ2期は、期待を悪い意味で裏切る面も多かったが、ラブライブ本戦決勝での『未来の音が聴こえる』のステージには大いに満足した。2期では1期東京大会での『Starlight Prologue』のステージが動画などを通じてたびたび回想され、このステージを超えるというメッセージが訴えられていた。そのわりには、2期東京大会での『Sing!Shine!Smile!』ではウィーン・マルガレーテとの対決構図だけが強調されていて不満だった。

 最終話こそスタプロを超える明確な要素を描いてほしいと祈っていたが、そのひとつが広いステージを活かしたフォーメーションだったと感じた。独唱という課題に道というモチーフをオーバーラップさせたスタプロには本当に感動したものだったが、直線の道が横並びするステージおよびフォーメーションは1次元的な表現に止まる。もっとも、これはこれでリモートライブというカメラによる舞台の切り取りと狭いステージの制約を逆転したもので素晴らしい。

 たいして未来の音が聴こえる、このライブには多次元的表現を感じた。広大な決勝ステージを見よといわんばかりの開幕ズームアウト。神宮競技場、その舞台へのあこがれを1期から繰り返し描いてきたからこその感慨がある。いまやアニメの基幹技術ともいえる3DCGだが、使いようによっては一気にダサくなる劇薬でもある。ラブライブ!シリーズはさすがその辺りをよく心得ているのか、スパスタのライブ映像でもじつに巧みだと思わされる。ズーム含む主張の強いカメラワークはダサさと紙一重だが、スローテンポな曲調に合わせた激しすぎないカメラワークが、それをうまく回避している。

 1期ED『未来は風のように』と比べ、タイトルのポエティックさが落ちた感は否めないけれども、音楽と歌そのものを大事にしてきた結ヶ丘、Liella!、澁谷かのんらしさの直球勝負で来たということだろう。Aメロのテン、テン、テンと一拍ずつ優しく弾むギターとピアノの音、最後方のセンターに立つ葉月恋がひらりひらりと舞い、さながらステージの同心円のように波紋が広がっていく様を幻視した。このときカメラはメロディを歌う千砂都、かのん、四季を追いかけるのだが、恋が見切れることなく映り続ける絶妙なフォーメーションとカメラワークで、さらにはこれらの拍のずれが音の重なりまで生んで心地よい。音の広がりと重なり、この多次元的表現がLiella!の2年間の集大成なのか…この時点でわたしはすっかり満ち足りてしまった。

優雅なレンレンに陶酔。

 とはいえ舞台の見せ場はむしろこれから。すでにずいぶんと脱線してしまったが、良いアニメはいくら語っても語り尽くせない。わたしの感想文を読むより、ぜひ実際のアニメを見て1音1フレームをじっくりと味わってほしい。

www.youtube.com

 ちなみに、広いステージと書いたが、もっといえば広すぎる。リオ五輪100mのウサイン・ボルトのスタート20mが2.89秒らしいので、Liella!は陸上競技界のスーパースターにもなれるよ。

 

https://www.afpbb.com/articles/-/3090197

 人に話せるかどうかは別として、わたしの趣味は一人暮らしおよび生活なのではないかとしばしば思う。趣味が一人暮らしって何だよって話だが、いわば自身を対象とした長期的な実験である。一人ひとりの生活に絶対的な解答がない中で、あれこれやって経験を積んで、心地よい、楽しい、効率が良い生活を探究する。その一領域であるのが食だ。

 カレーに何でも突っ込んでみるなど、8年目にしてかなり煮詰まってきている感じがするが、それでもなおこの半年でいくつかアップデートがあった。

 1つ、朝の主食をカルビーのフルグラから直輸入のオートミールに変えた。折りパケ運動と連動したPayPayのキャンペーンの終了を機に、同じくらい手軽でより安い炭水化物を探して行き着いた。最初はカナダ産のものを買っていたが、今月さらに安いリトアニア産のものを発見、圧巻の500g税込134円である。フルグラも十分安いと思っていたが、これは反則である。

 オートミールの中でもロールドオーツという燕麦を蒸して平たくつぶしたものを選んでいて、ふつうは牛乳やら水やら砂糖やらはちみつやらを加えて食べるらしいのだが、面倒くさいので計量カップでガサっと器に移してそのままモソモソと食べている。おいしい、とわたしは思う。

 主食は主食でも糖質に関していえば、白米よりパスタや小麦粉にコストパフォーマンスで分があるが、単純にご飯が好きなのだよな。ここはこの先も変えなくて良いと思っている。

 2つ、朝の主菜の大豆の水煮を出来合いのものから自分で煮たものにした。一人暮らし3年目くらいからだと思うが、食物繊維量を増やすために1日のうちの1食の主菜を豆にすると思い立ち、その際に選んだのが冷凍のむき枝豆だった。それが6年目くらいで欠品や値上げが続いて、代替として選んだのが水煮大豆。それも今夏、ちょっと値上げがあったり袋の処理が面倒だったりで、自分で作れるんじゃないかと乾燥大豆を買うようになった。北海道産1kg税込495円、たんぱく質率は驚異の0.68g/円である。

 ガス代は多少かかるものの、作るのは思ったより面倒くさくない。沸騰直前の灰汁取りと沸騰後の差し水くらいのもので、他は放っておけば軟らかくなる。なにより水以外調味料も何も加えずただ煮ただけなのにうまいのが良い。わたしは寝るときいつも、明日はまた水煮とオートミールが食えるぞと思って頬を緩めている。しいていえば、片手鍋で豆3カップの5食分ずつしかまとめて作れないので、もっとでかい鍋とそれをそのまま突っ込めるでかい冷蔵庫が欲しい。

 3つ、乾燥わかめと塩昆布の購入を止めた。繊維質を穀類に頼っていると不溶性に偏りがちになるので、バランスを取るために藻類で補っていたが、いまは乾燥ひじき一本になった。これもまあ値上げをうけての再考で、世知辛いね。主に中国からの輸入乾物は3年前からゆうに2倍以上の価格になっている。

 ちなみに塩分役でもあったわかめと昆布だったが、その分塩を振っておけば問題ない。調味料はかれこれ3年は食塩と白胡椒とカレー粉しか買っていない。食べたものは身体を通り抜けるものであり身体から等量出ていくものであるので、味に飽きるとか変化が欲しいとかいう気持ちがわからなくなった。

 かくして本年度上半期の食費は1.4万円/月で、相次ぐ値上げの中でも昨年度からの増額は月500円ほどに収まっている。円安はくそ。

下半期の展望

 おわりに、この先半年の目標でも書いておこうかと思う。基本は現状維持、かならずしも現職場に留まらなくてよいから、働き続けて収入を得る。黒字が理想。

 過去記事に触れると、投資は証券口座を開設したっきりで、自分の中でふたたび気が向くのを待っている。引越しもいまだ検討中で、とりあえずは現住まいの家賃交渉をしており、それ次第なところがある。片付けはけっこう進んで満足。

 また、駅ピアノで50歳から始めたんですよと語るダンディなおじさまや、ギター教室に通い始めたフォロワー、それから葉月恋を見て、ピアノを弾きたいという欲が高まってきた。小中と授業の楽器演奏はてんでだめだったのだが、小学校音楽教諭の母や女性性、集団行動への反骨心ゆえの部分もあったのだと、いまでは思う。なによりピアノの音が好きだし、それを意のままに操れたらどれほど楽しいだろうという憧れがある。

note.com

 家電量販店を巡った感触では、音色の違いはさっぱりだが、打鍵感や見た目はKAWAIとRolandが好きだった。中古の検討含めお金はなんとかなるにしても、集合住宅では音に気を付ける必要があり、これも引越しと関連する。ヘッドフォンをつないだ電子ピアノであっても、ペダル音や打鍵音は響くらしいので。

 まあ半年以内に始めている見込みは低いが、言うだけならタダである。楽天Koboの400円引きクーポンで買った始まりは君の空の楽譜、いつの日か弾けるといいね。

ゲームから逃げられない

 先日のブログにて、引越しの備えとして荷物の処分を進める、子どものころからのゲームも手放すと書いた。それなのにここ10日ほど、引っ張り出したDSLiteを起動して『ポケモン不思議のダンジョン 時の探検隊』に熱中する事態になっていた。

 労働はあくまでお金を稼ぐ、生活を成り立たせる手段として距離を保っている分、休日の活動を意義あるものにしたい。こうした意識が強かった反動だったのかもしれない。べつにビデオゲームが無意味なものだ一般化するつもりはないが、少なくともわたしの成長の糧になるとか将来役に立つとかいう打算とは無縁なものであり、そうした娯楽、快楽をちょうど欲していたのだと思う。

 あくまで娯楽を『生活を成り立たせる営みとは別に行う遊び』と位置付けると、その興じ方には大きく2種類あると思う。1つは、すでに構築されていた生活という組織の隙間に溶け込むタイプ。投じられる時間は余暇に限られ、それまでの生活を問題なく送ることができる。もう1つは、すでに構築されていた生活という組織に収まりきらずに組織を破壊し、娯楽のために組織を作り変えてしまうタイプ。余暇時間では足りず、その他のやりたいことを駆逐し、ひいてはやるべきことにまで延焼する。

 わかりきっていたし、だからこそ遠ざけてもいたのだが、やはりわたしにとってゲームは後者に属する。手を染めたくないという理性が、折に触れて土俵際に押し出されていった。新しくゲームを買ったというフォロワーと葉月恋。桜井政博のゲーム作るには - YouTubeで語られるゲーム性の製作者論理。アニポケのマスターズトーナメントの熱いバトル。今はシロナ戦で不完全燃焼だったカイリューを活躍させてやりたくて、えんがんのいわばやいそのどうくつのタマゴ依頼をちょくちょく受けているのだが、なかなか狙いどおりにミニリュウが産まれない。

最強のコマンド「かわせ!!」がなくなっていて驚いている。催眠は変わらず強い。

 そういうわけでTwitterもご無沙汰だった。こうして短いブログを書くくらいには中毒も落ち着いてきたので、フォロイー巡回も再開しようと思う。ところで、リアルタイムで流れてゆくSNSと、今回のような一時中断および再開とは相性が悪い、というよりまどろっこしく、何か良い感じの閲覧の仕方が欲しい。普段からフォロイー3桁以上の人たちはまともに全ツイート追えるとは想像できないのだが、どう付き合っているのだろう。

引越し

 引越しを考えている。きっかけはお金で、収支とんとんの現状からなんとかプラスにできないかと家計を見直していたことによる。今住んでいるアパートは大学進学時から住み続けているところで、当然ながら価値観もニーズもそれから大きく変化している。でも、その当たり前のことになかなか気付けず、我ながらようやくいろいろと調べたり考えたりしている。

 そもそも、支出(≒収入)の月12万余りのうちの5.3万を家賃および共益費が占めるのはバランスが悪い。出不精でいくらでも引きこもれる性分ゆえ、その本拠にお金をかける価値はたしかにある。この価値観は相変わらずで、同時に、これが思考停止の原因にもなっていた。大切な部屋のグレードは落とさずとも、立地が変わるだけで家賃は下がる。驚いたのはその幅の大きさで、同じ大阪府内で利便性や位置がさほど変わらない(ようにみえる)エリアでも、2万円以上今より抑えられることがわかった。この差はあまりに大きい。開始時は時間給のパートをなめていたところがあり、1万余分に欲しくなったら1日余分に働けばよいと気楽に考えていたが、今ではもう本当に週4日以上は働きたくない。退去やら引越しやらの費用も近距離のワンルームなら案外知れたもので、こういった少し調べればわかることを調べずに被った損はたくさんあるのだろう。

hibihinichi.hatenablog.com

 立地に求めることをもう少し考えてみる。現住居が割高な一因であろう大学への近さは不要になった。一方で外せないのが業務スーパーで、わたしの食生活はここに大きく依存している。青果全般の安さもあるが、乾燥大豆1kg税込495円とオートミール1kg税込538円の2つは、他のスーパーではまず替えが利かない。前者はタンパク源、後者は主食として、また両者とも食物繊維源として、それぞれ(調理前で)75g、100gほど毎日食べている。ネット通販の相場は割高であるし、実店舗で買う択を持っておくのは大事だ。もっとも、これまで輸入品に力を入れてきた業務スーパーの昨今の値上げは顕著で、ここさえあれば安心ともいえないのだが。ところで、春に自転車を盗まれた。無くても何とかなるものだと知見を得たのだが、それはスーパーへのアクセスありきで、徒歩15分圏内に業務スーパーがあるとうれしい。

 転居を阻む障壁というと、職場、家族、持ち家、コミュニティ・交友関係が思い浮かぶ。わたしに該当するのは職場くらいで、2万円安いエリアに越すとなると転職することになる。今の職場にはっきりとした不満はないのだけど、留まる絶対的な理由もまたなく、いずれは離れる。人間関係だとか、経験だとか、能力だとか、労働条件だとかに、職場リセットが及ぼす影響は未知数。ただし、そのタイミングは6ヶ月でも3年でも5年でも、長期的には似たり寄ったりの結果を生みそうな気もする。他方、新しい職場を見つけるのは簡単で、なぜなら介護を必要とするお年寄りはどこにでもいるから。今の職場はたまたま今の居住地から近くてマッチングしたにすぎないのだから、新天地での縁に対しても期待値はゼロでよく、少なくともマイナスに見積もる必要はない。とはいえ、精神的、時間的、金銭的コストは掛かるので、前向きに取り組める要素もまた欲しいが。

hibihinichi.hatenablog.com

 通勤は徒歩(30分圏内)が望ましく、電車は待ち時間や人が煩わしいので使いたくない。あくまで自身の短い人生経験に基づく主張だが、歩く効能というのはすばらしくて、アスリートでないならへたに激しい運動をしてストレスを溜めたり歩く気力と体力を失ったりすることはない。出不精のわたしには週3の強制徒歩通勤および労働が良い薬になっていると感じる。他はせいぜい公立図書館が近いとうれしいくらいで、月1以上の頻度で利用するどこにでもはない場所はもう思い当たらない。すると駅に近い必要はなく、これもまた今のアパートの無駄な魅力のひとつであるとわかる。地方の田舎出身に言わせれば、山間部でない府内なら交通の便が悪いなんてことはない。

 さて、結局いつ引越すのかは決まっていないのだが、いつでも家を空けられる準備はしておきたい。具体的には荷物を減らしたい。全然物を買わない一方で、それ以上に物を捨てられない、売れない性分である。たとえば、ベッドの下に積んでいる未読の古新聞。さかのぼって消化するのは楽しいのだが、毎日届く分を読むだけでも時間を要するし、どうせ読みきれないのだからさっさと捨てればよい。そんなことはわかりきっているのだが、保管できてしまうのでこれまで実行できずにいた。引越しの力を借りて、こういったただあるだけの不用品を一斉に処分したい。学生から労働者へと身分が変わったのもある。教科書といった本の類はともかく、読み返すより調べ直した方が早そうなノートやレジュメ、基本的にpdfデータのある論文も紙ごみに出すことにする。はっきりごみといえるものの他に、あとは衣類だとかゲームだとか、捨てずに換金をどこまで頑張るかは悩ましいものの、これらも処分を断行する所存。

 あらためて、独身、パート、賃貸、友人恋人不在、低支出と、これだけ条件がそろっておきながら引越しを考えないのはもったいない。経済的な利で思い立った今回だが、興として2年おきくらいで転々とするのも面白そうである。先日スマホゲームを辞めて、新しい興味が続々と湧いているように、何かを手放して穴を空けることで、新しい何かをそこに充てることができるだろう。手始めに近場で、なんなら職場を変える必要のない1万円家賃の低い部屋に越してもよい。いずれにせよ、荷物の処分だな。

株を買う

 3週間ほど前から資格の週1授業が始まり、週3の労働と合わせての実質週休3日に消耗していた。うち休みが2日しかないという地獄の9日間を終えて、これ以上の労働は認めないと固く決意した。同じ切り取り方で2休/12日間がデフォルトになる土日休みが、偉人の伝記のように聞こえる。

 あとはインフレだとか、3つあったスマホゲームをさっぱり辞めただとか、いろいろと重なって証券口座を初めて開設した。選択は偶然と環境にもたらされるものであって、自由意志なんてものはほとんど幻想だとわたしは思っている。手続きを終えた後も、職場のコロナ集団感染、辞めたソシャゲの1つで、フリートレードというシステムを中心とした疑似経済要素が魅力だったモバマスのサ終告知と、口座開設がこのタイミングであったことに運命的なものを感じた。

 口座は作ったが投資はまだである。基本的に買いから始まる投資は、その一歩目が最も肝要で最も難しいのだと、当事者となって痛感している。想像するに、投資の面白さとは試行から答え合わせまでの時間差に宿る。結果は数字としてはっきり判る一方で、仮説は放っておくと曖昧になり、この妙味がぼけてしまう。であるから、何もわかっていないなりに、ここに初心を書き残しておきたい。

ままならぬもの、儲けに依存しない

 株価の正確な予測はできない。だからといって調べもせず考えなしに突っ込むのは良くないが、自分のあずかりしらない力で動くものに期待をする性分ではない。物価が上がる一方で金利が上がらないなら預貯金の無駄だといった打算もあるが、投資で赤字が出ると飢え死にするような依存は論外である。

娯楽性と思想

 自由意志なんてものは幻想だと書いたが、幻想を信じることもまたばかにできない。儲けに依存しないならしないで動機は必要だ。ひとつは娯楽性で、喜怒哀楽を伴って興味の続く投資であること。もうひとつは思想を反映した投資とすることで、下落時にも強気に買い足せるくらいの信条の合う銘柄を持ちたい。

予算

 今のまま週3労働を続ければ生活費ととんとんとなることは以前に書いたとおり。したがって100万余りの預貯金を回す分には生活は破綻しない。話がそれるが、このお金の大半は親が担保定額貯金していたものが満期を迎えて帰ってきたもので、おそらく親はこの存在に覚えがない。血縁や続柄に特別な感情はないのだが、社会はそうなっていないし、あくまで事務的であってもこうした清算と向き合う時期に来ていると感じる。そういうわけでこの預貯金はわたしが稼いだお金でもなければしまっておいても親が使うわけでもないので、気楽に運用することができる。20万は現金で持っておくとして、残りは運用資金としてよい。80万を回して仮に20%下がっても84万は手元に残る。期間にもよるが、趣味で16万使うのは珍しいことでもないだろう。もちろんレバレッジを効かせた取引はしない。

投資対象

 金融商品というくくりで債券、通貨、不動産、貴金属、保険と様々あるが、娯楽性と思想の反映を満たすなら、投資対象は株式の他にない。また、投資信託も本質は貯金と同じ間接投資のようでやる気がしない。予算や投資対象が決まったところで、NISAを利用することにする。証券会社は手数料や銘柄数で無難にSBI証券を選んだ。思っていたよりサイトがごちゃごちゃしていてうるさいが、どうせどこも似たようなものだろう。

銘柄選び

 佳境に入る。やはり大方針としては思想の反映が軸になる。自分が未来に何を望み、それを実現せんとする会社にお金を託すのか。まあこれが一番難しい。これは職探しにも似ている。職探しと異なるのは、自分の不得手なことややりたくないことであっても問題がない点である。いわばお金ないし他人に働いてもらうことで、自分という制約なしに社会を駆動させることができる。

 この味を知るのにはまだしばらくかかりそうであり、焦らず考えることにする。何なら他人と気軽にこうした話ができると良いのだけれども。当記事はここで閉じるとして、また続きを書きたい。

欲求と要求

 先月の頭、今年4回目の夢精をした。いや、先々月の末だったかもしれないが、4回目というのは確かだ。1月に2回、3月に1回、それから3ヶ月以上空いての4回目だった。たぶん、成人男性はふつう今年の夢精回数を数えたりしない、というより夢精をしない。ではなぜ成人男性であるわたしが夢精をしているかというと、自慰の頻度の減少が関係していると思っている。

 今年の自慰回数はというと、3回である。自慰の回数を覚えている成人男性はそれこそまれであろう。ただ、流行病の予防接種回数を意識せずとも忘れないように、いまのわたしにとって自慰は、それと同じくらい日常から離れた低頻度のイベントなのだといえる。

 とはいえ、昔からこうだったわけではない。いまでこそ不意に夢精を起こす自身にも慣れてきたが、かつてはひとなみに若い女やそれを連想させるものに欲情し、ときに衝動的に、ときになんとなく、ときに眠れぬ夜に、自慰に励んだものだった。それがどうしてこうなったかというと、べつに高尚な理由も思想もない、なんとなくこうなってしまった。しいてあげるなら、必要性を感じなくなったからであろうか。

 昨年の秋口から自慰頻度は急減し、その年最後の自慰が9月か10月だったと思う。今年に入ってからの自慰というのも、突然の夢精を受けての実行だった。寝具に精液をまき散らす夢精は始末が悪い。コントロールできない就寝中に出る分を、自慰によって意識下に置けないか。少なくとも前回の射精から期間が空いたこととの因果はあるだろう。ただし、効果のほどはわかっていない。結果として、秋の自慰から、1月の夢精、自慰、自慰、夢精、自慰、3月の夢精、7月の夢精を経て現在に至る。

 冒頭から下の話を続けたところで、話題を広げてみる。性欲が食欲、睡眠欲と並んで三大欲求面しているのは昔から納得がいかなかった。しかし、食や睡眠について欲求にしたがって貪っているかとあらためて問われると、素直には首を縦に振れない。食べたいから食べる、眠たいから眠る。わたしは本当にこのように生きているだろうか。それよりむしろ、食べるべきだから、睡眠が体に良いから、そうする必要があるから、理性的に食べて眠っているのだと描像する方が、実態に近く思われてならない。いうなれば、欲というより要に求めて生きている。

 これは先の、自慰をしなくなったのは必要性を感じなくなったからだという論につながる。なんだかんだでわたしもいつかだれかと愛し愛されてまぐわう日が訪れるだろうという思念は、歳を重ね、将来像の具体化と一人暮らしの最適化の進行とともに急速に薄まってきた。はたして性愛は不要として求められなくなった。一方で続いているようにみえる夢精は、射精能力の維持という心身の妥協点の発露なのだろうか。

 欲求と要求の区別は、単なることば遊びにすぎないかもしれない。それでも、知性と理性を獲得した以上は、低次の欲求でさえ打算と切り離すことができない。この認識が、他人と会話するときも、好きなアニメの商品を買うときも、なんなら好意を抱くときも、衝動的になれない自身を肯定する材料となるような気がする。