虚用叢

見渡すかぎりうつろなくさむら

株を買う

 3週間ほど前から資格の週1授業が始まり、週3の労働と合わせての実質週休3日に消耗していた。うち休みが2日しかないという地獄の9日間を終えて、これ以上の労働は認めないと固く決意した。同じ切り取り方で2休/12日間がデフォルトになる土日休みが、偉人の伝記のように聞こえる。

 あとはインフレだとか、3つあったスマホゲームをさっぱり辞めただとか、いろいろと重なって証券口座を初めて開設した。選択は偶然と環境にもたらされるものであって、自由意志なんてものはほとんど幻想だとわたしは思っている。手続きを終えた後も、職場のコロナ集団感染、辞めたソシャゲの1つで、フリートレードというシステムを中心とした疑似経済要素が魅力だったモバマスのサ終告知と、口座開設がこのタイミングであったことに運命的なものを感じた。

 口座は作ったが投資はまだである。基本的に買いから始まる投資は、その一歩目が最も肝要で最も難しいのだと、当事者となって痛感している。想像するに、投資の面白さとは試行から答え合わせまでの時間差に宿る。結果は数字としてはっきり判る一方で、仮説は放っておくと曖昧になり、この妙味がぼけてしまう。であるから、何もわかっていないなりに、ここに初心を書き残しておきたい。

ままならぬもの、儲けに依存しない

 株価の正確な予測はできない。だからといって調べもせず考えなしに突っ込むのは良くないが、自分のあずかりしらない力で動くものに期待をする性分ではない。物価が上がる一方で金利が上がらないなら預貯金の無駄だといった打算もあるが、投資で赤字が出ると飢え死にするような依存は論外である。

娯楽性と思想

 自由意志なんてものは幻想だと書いたが、幻想を信じることもまたばかにできない。儲けに依存しないならしないで動機は必要だ。ひとつは娯楽性で、喜怒哀楽を伴って興味の続く投資であること。もうひとつは思想を反映した投資とすることで、下落時にも強気に買い足せるくらいの信条の合う銘柄を持ちたい。

予算

 今のまま週3労働を続ければ生活費ととんとんとなることは以前に書いたとおり。したがって100万余りの預貯金を回す分には生活は破綻しない。話がそれるが、このお金の大半は親が担保定額貯金していたものが満期を迎えて帰ってきたもので、おそらく親はこの存在に覚えがない。血縁や続柄に特別な感情はないのだが、社会はそうなっていないし、あくまで事務的であってもこうした清算と向き合う時期に来ていると感じる。そういうわけでこの預貯金はわたしが稼いだお金でもなければしまっておいても親が使うわけでもないので、気楽に運用することができる。20万は現金で持っておくとして、残りは運用資金としてよい。80万を回して仮に20%下がっても84万は手元に残る。期間にもよるが、趣味で16万使うのは珍しいことでもないだろう。もちろんレバレッジを効かせた取引はしない。

投資対象

 金融商品というくくりで債券、通貨、不動産、貴金属、保険と様々あるが、娯楽性と思想の反映を満たすなら、投資対象は株式の他にない。また、投資信託も本質は貯金と同じ間接投資のようでやる気がしない。予算や投資対象が決まったところで、NISAを利用することにする。証券会社は手数料や銘柄数で無難にSBI証券を選んだ。思っていたよりサイトがごちゃごちゃしていてうるさいが、どうせどこも似たようなものだろう。

銘柄選び

 佳境に入る。やはり大方針としては思想の反映が軸になる。自分が未来に何を望み、それを実現せんとする会社にお金を託すのか。まあこれが一番難しい。これは職探しにも似ている。職探しと異なるのは、自分の不得手なことややりたくないことであっても問題がない点である。いわばお金ないし他人に働いてもらうことで、自分という制約なしに社会を駆動させることができる。

 この味を知るのにはまだしばらくかかりそうであり、焦らず考えることにする。何なら他人と気軽にこうした話ができると良いのだけれども。当記事はここで閉じるとして、また続きを書きたい。