虚用叢

見渡すかぎりうつろなくさむら

2023/10/18

 上り坂を走っている。比喩ではない。文字どおり、住宅街を突っ切る長い直線の11パーセントの勾配のアスファルト、そのうちの70メートルを、2日に1回、5本全力でダッシュしている。いや、さも長年の習慣のように書いたが、始めたのはつい先週のことで、坂の細かいデータはGoogle Mapsで間に合わせただけの些末な事柄で、ただ近所で通いやすくて交通量の少ない都合で選んだ場所というだけであるが、息も絶え絶えに、足が上がらなくなるほど、疲れ果てるという体験を、数年ぶりにしていることは確かである。

 先日、大学の部活のOB戦に参加した。単純な話だが、坂ダッシュを始めたきっかけはこれだけである。コロナの流行が始まった年でもあり、修士2年の時にはろくに練習もできなかったので、じつに3年のブランクとなる。久々に競技をする感覚は懐かしかった。意外と身体が覚えていたり、反対に体力の不足で思うようにいかなかったりした。入学したての出会ったころのように、大会へのプレッシャーとは無縁の、競技そのものの楽しさに夢中になった。調子のいいことに、再会したひと全員に痩せたと言われる身体でも、体力トレーニングさえすれば、現役の学生にも勝てるのではないかとさえ思ったのである。

 いつまでも来続けるOBとは一般に煙たいものというイメージを持っているが、この競技は練習相手を確保するのにも苦労するようなマイナースポーツなので、その点は心配ないはず(むしろ2年半大学の近くに住み続けていながらにして、フルタイムで働いていないながらにして、勧誘の手伝い一つしなかったのが薄情)。コロナで消滅しなかったのは奇跡的だ。

 昔から爺臭いとよく言われたものだが、ませた子どもに対する冗談めいたそれと違い、いよいよ齢を取ったと自覚するようになった変化は、闘争心の喪失である。ショックを受けるでもなければ、悲観することもない。経済的に自立したことで、親族への負い目もなくなった。最小限の労働と消費活動で、漫然と暮らしている。

 省エネ志向の精神に、肉体も従う。鍛えるなんて維持コストがかさばるだけ、もってのほかだ。いやがおうでも労働で身体を動かすので、すぐさま廃人になる心配もない。

 そんな自分が、坂ダッシュを始めた。肉体はもちろん、精神的な変化は大きい。巷のマッチョイズムに同調する気はさらさらない。繰り返すように、動機はかつて大学で打ち込んだ競技への楽しさの目覚めからである。

 週3とはいえ、ただでさえ嫌な労働に加えて、新たにつらくて苦しいトレーニングが続けられるのかという不安はある。だからこそ、この日記を書いているようなところもある。多種目長時間のプログラムはまず挫折するので、ハードで効率の良い坂ダッシュをメイン種目として選んだ。最も衰えを感じた大腿と臀部を中心に、パワー、最大筋力、筋持久力を筋肥大を伴って複合的に鍛え、代謝系、神経系、精神力にも作用する。坂の長さにはもう少し余裕がある。ラップやインターバルの時間は計っていない。始めたてなので、とりあえず5本全力で走ってへとへとになればオーケーの気持ち。休養として、現状の中1日では疲労が取りきれていないと感じるが、経験上、2、3日休んでも筋肉痛が完全に抜けるということはあまりないので、とりあえず様子見。

 中1日に行うサブ種目として、これもとりあえずで懸垂とハンギングをしている。足腰と同様、競技特性として重要なプル系の筋力である。ノーマルな懸垂を限界まで2セット、その後グリップトレーニングとしてタオルへのぶら下がりを限界秒数の3セット。全力疾走と比べればしんどくはないが、それでも目的がなければいまさら頑張れない。出勤の曜日は固定でないので、シフトと関係なくできるように、毎夕種目を交互に手短に行っていく算段である。

 高校時代の部活のトレーニング日誌を引っ張り出して読んだ。わたしのひとり暮らしの賃貸には、何を思ったのかこういった無駄な遺産が持込まれている。20代後半になった現在の感覚では正気の沙汰でない、10年前のトレーニングの詰込み具合に驚く。もっと休め、もっと寝ろ。自分の代の後に地元開催される国体に向けて強化されていく体制に苦しかった印象が強いが、文面からはそんな記憶より楽しそうに練習をしていると感じた。才能のあったペアには自分の力不足に申し訳ない思いを抱えていたが、励まし合ってつらいトレーニングを乗り越えている様子が伝わってきた。やはり、齢を取った。

 トレーニングと関連があるかは不明だが、自慰をした。下のブログを書いて以降はした記憶がないので、記述と合わせて去年の1月以来になるわけだから、じつに1年9ヶ月ぶりになるらしい。過去に書いたとおり、べつに我慢していたわけではない。懸垂の日、19時を過ぎてすでに眠くなり消灯、翌1時を回ったところで目が覚めた。久しぶりに覚える「なんとなくたい、ようかな」という気分。AVを見るほどの衝動でもない。が、たしかにある。日常の行動の延長で、実行しやすかったのだろう。録画してあった一般アニメ「聖剣学院の魔剣使い」の第2話を再生し、絶頂した。

hibihinichi.hatenablog.com

 カラダが快感を思い出したからか、翌晩も夢精しかけた(フィニッシュの直前で目覚め、寸止めした)。また明くる日の朝、「豚のレバーは加熱しろ」の第2話では至らず(パンツの見えないクソ回だった)、「君のことが大大大大大好きな100人の彼女」の第2話で到達した(これもパンツが見えるまでギャグ寄りが続いて冷や汗をかいた)。

 余談になるが、多少の性欲があった昔も、二次、とくにアニメそのものをオカズにすることはほとんどなかった。一般アニメ本編としては「ロクでなし魔術講師と禁忌教典」が記憶にある唯一であった。嗜好が変化したというよりは、少ない物理的、精神的刺激で満足するようになったと解釈している。

 さて、こんな記録をしているうちに、日が沈んできた。今日も走りに行かなくてはならない。