虚用叢

見渡すかぎりうつろなくさむら

ゲームから逃げられない

 先日のブログにて、引越しの備えとして荷物の処分を進める、子どものころからのゲームも手放すと書いた。それなのにここ10日ほど、引っ張り出したDSLiteを起動して『ポケモン不思議のダンジョン 時の探検隊』に熱中する事態になっていた。

 労働はあくまでお金を稼ぐ、生活を成り立たせる手段として距離を保っている分、休日の活動を意義あるものにしたい。こうした意識が強かった反動だったのかもしれない。べつにビデオゲームが無意味なものだ一般化するつもりはないが、少なくともわたしの成長の糧になるとか将来役に立つとかいう打算とは無縁なものであり、そうした娯楽、快楽をちょうど欲していたのだと思う。

 あくまで娯楽を『生活を成り立たせる営みとは別に行う遊び』と位置付けると、その興じ方には大きく2種類あると思う。1つは、すでに構築されていた生活という組織の隙間に溶け込むタイプ。投じられる時間は余暇に限られ、それまでの生活を問題なく送ることができる。もう1つは、すでに構築されていた生活という組織に収まりきらずに組織を破壊し、娯楽のために組織を作り変えてしまうタイプ。余暇時間では足りず、その他のやりたいことを駆逐し、ひいてはやるべきことにまで延焼する。

 わかりきっていたし、だからこそ遠ざけてもいたのだが、やはりわたしにとってゲームは後者に属する。手を染めたくないという理性が、折に触れて土俵際に押し出されていった。新しくゲームを買ったというフォロワーと葉月恋。桜井政博のゲーム作るには - YouTubeで語られるゲーム性の製作者論理。アニポケのマスターズトーナメントの熱いバトル。今はシロナ戦で不完全燃焼だったカイリューを活躍させてやりたくて、えんがんのいわばやいそのどうくつのタマゴ依頼をちょくちょく受けているのだが、なかなか狙いどおりにミニリュウが産まれない。

最強のコマンド「かわせ!!」がなくなっていて驚いている。催眠は変わらず強い。

 そういうわけでTwitterもご無沙汰だった。こうして短いブログを書くくらいには中毒も落ち着いてきたので、フォロイー巡回も再開しようと思う。ところで、リアルタイムで流れてゆくSNSと、今回のような一時中断および再開とは相性が悪い、というよりまどろっこしく、何か良い感じの閲覧の仕方が欲しい。普段からフォロイー3桁以上の人たちはまともに全ツイート追えるとは想像できないのだが、どう付き合っているのだろう。