虚用叢

見渡すかぎりうつろなくさむら

一筋道の先

 生温い雨の降る日曜の16時、日比は柳瀬雪枝にエプロンを着けていた。しかしここはキッチンではない。短期入所型の高齢者介護施設のリビングの片隅である。日比がパートとして働き始めたこの施設では、しばしば日常の語義からずれた言葉が飛び交う。『エプロン』もその一つで、実態は首から膝までの前面を覆うよだれかけである。食事中、食べ物を手元や口元からこぼしてしまう入所者が、当人の服を汚さないために着用する。職員がこうした隠語を使うのは、他の施設利用者も同居する中、着用者の羞恥心を多少なりとも軽くするためなのだろう。

 日比は車椅子に目をつむったまま力なく座っている柳瀬の隣に腰を下ろし、肩を軽くたたきながら食事の声掛けをした。反応はない。柳瀬の夕食、そして日比の退勤までの1時間の開始である。

 ゼリー状の栄養補助食品を茶さじで崩しながらすくい、柳瀬の口元に運ぶ。空いている方の手で再び肩をたたきながら名前を呼ぶと、ようやく半目を開けて顔を上げた。
「お口開けましょう、あー・・
今度の呼掛けには応えることなくそっぽを向いた。スプーンを改めて顔の前に持っていき、ここで口を開けた。すかさずスプーンを挿し込む。今世界で最も重苦しい5グラムのように思われた。

 だれしもが柳瀬のようにマンツーマンの食事介助(食介)を必要とするわけではない。同じフロアには30人余りの利用者がいるが、そのうちの8割は提供された食事を自分で口に運ぶことができる。残りの1割は介助付きで食事ができ、もう1割は胃ろうで栄養剤を送られる。8割が独力で食事ができるといっても程度はさまざまで、麻痺のない半身で器用に皿を真っ白にする人もいれば、声掛けをしないとろくに食べようとしない人もいる。

 日比は介護業務の中でも食介は嫌いではなかった。誤嚥という危険と隣り合わせの活動ではあるものの、ひと月の新人がやれることは知れていて、基本的には利用者の脳と手の一部となって、スプーンとコップを口元に繰り返し運ぶだけだ。日比がいなければ利用者はときに食べ物を認識することもできないが、口を開け、咀嚼し、飲み込んで、消化するのは利用者しかできない。ふたりで一人前になる空間が、半人前の身には居心地が良かった。

**

 新卒採用の選考エントリーをすべて辞退した、一昨年の修士1年の冬を思い出す。大学院で研究している理由。入社を志望する理由。他人から問われるたびに、そんなものは何処にもないと、むしろ視界が広がっていく思いだった。

 修士課程を修了し、晴れて無職となった1年間。減るばかりの預金残高を見て、生きるためにお金が必要であることを理解した。同時に、お金を得る手段として労働を始める理由が発生した。このとき、生きる理由をだれも問うてこなかったことは幸いだったのかもしれない。

**

 柳瀬の食介に入って30分が経過していた。今日は一段と食いつきが悪い。元々食事を嫌がる柳瀬は、他の利用者に提供される主食、主菜、副菜といういわゆる普通の食事は摂らない。他の利用者に先んじて夕食が始まるのも、時間がかかる都合によるところが大きい。飲料タイプとゼリータイプの2つの栄養補助食品計250グラムが、今回も例外なく課された食事であったが、まだ3分の1も進んでいなかった。

 ゼリーをすくい、口に持っていく。日比は柳瀬の声を聞いたことがなかった。ベッドから身体をうまく起こせなかった時も、義歯を上下間違えて差し出した時も、うなり一つ上げたことがない。喋れないのか喋らないのか、認知症の症例として説明はできても、日比には、そしておそらく柳瀬自身にもわからない。できないなりに振られる仕事の量が増えてきた8時間労働の終了間近、力ない声掛けが反響することなく彼方へ消えてゆく。うつむく口に幾度となくスプーンを圧し当てるが、目も口も喉も固く閉じたままである。エプロンには圧し当てたスプーンからこぼれ落ちたゼリーと飲料が、百舌の糞のように跡をなしていた。

 かくして、半人前のままその日の勤務最後の1時間が終了した。この1時間、日比の懐に入ることになる1180円と、柳瀬の胃袋に入った食事100グラムとが等価であったのかという疑問は拭えない。しかし、日比は自身の生死とお金と労働とが順につながった一筋道の先に、また他者の生死が直結している構造を好奇に思いながら、傘を差して家路を歩くのだった。