虚用叢

見渡すかぎりうつろなくさむら

僕ら連れ去る時の訪れ

 近年描いていた人生における最終目標は「孤独に死ぬ」ことである。が、修正してもよいかもしれないというか、考えが足りない部分があったと少し思えてきた。

 わたしは幼少から徹底した秘密主義だった。ミステリアスな人物はカッコいい、ウソはつきたくないが見栄は張りたいので汚点は隠しておく、たぶんそんなところからである。話すと不利になる、チームの雰囲気を乱すといった理由でわざわざ言わないことのひとつやふたつ誰にだってあるだろうが、本当にどうでもよいことまで半ば無意識にお茶を濁してしまうのだ。この幼稚な習性が児童期に終わってくれていればよかったのだが、残念なことに今でもなかなか直らない。

 秘密主義者にとっての最大の危機は、自らの死である。秘密を「墓まで持っていく」なんて言い回しもあるが、実行は容易ではない。隠してきたあらゆる自身の情報が知人に流出する危険性が、生前より格段に高まると考えるべきだ。

 そこで打ち立てられる目標が、冒頭の「孤独に死ぬ」ことである。上記の危機への究極の防衛策として、はなから知人を作らないのである。墓の中で墓を防衛することが不可能であるのなら、そもそも墓を荒らしに来るような親しい知人を持たねばよい。強い長生き願望もひとつはここから来ている。親より先に死ぬわけにはいかないし、希薄な人間関係を自由に謳歌できる成人以降を引き延ばすほど、誰からも忘れられる人間となる見込みが立つ。

 ここまでわたしは確固たる孤独の道を歩んでいるつもりで、しかしながら自己矛盾も浮かんできた。わざわざブログやTwitterを立ち上げて自身を赤裸々に語っていること、授かった交流に心を救われていることに気づいたからだ。特定のあなたに向けて話すというかたちではないが、好きに書いたありのままが好きに読まれたり読まれなかったりして、わたしははじめて心を通わせる経験をした。

 興味深いのは、この安寧が匿名性とは関係ないことだ。実際のところ、今のフォロワーが墓を荒らしに来るほどの関係ではないという点はさておき、本名やら住所やらが知られて会いに来られたとて、何ら不安を感じない。怖れるのは身バレではなく垢バレであり、たとえば同僚にこのアカウントを知られたと想像すると途端に青ざめる。

 フォロワーのブログを読んで、わたしにとっての幸せとは何だろうと考えている。

kirarajump.blogspot.com

しあわせ〔「為合せ」の意〕
1.【仕合せ】運命のめぐり合せ。「有難き⸻」
2.【幸(せ)】⸻な、⸻に 〔その人にとって〕幸運(幸福)であること。また、その状態だ。「⸻をつかむ」 ※「倖」とも書く。

こううん【幸運】⸻な、⸻に 物事が偶然に自分にとって都合のいいように運ぶこと(様子)。しあわせ。「⸻に恵まれる/⸻にも入賞した」 ⇔不運 ※「好運」とも書く。

こうふく【幸福】⸻な、⸻に 現在(に至るまで)の自分の境遇に十分な安らぎや精神的な充足感を覚え、あえてそれ以上を望もうとする気持ちをいだくことも無く、現状が持続してほしいと思うこと(心の状態)。「思えば⸻な一生だった/しみじみと⸻(感)を味わう」

山田忠雄ほか『新明解国語辞典 第七版』

 どこかネットにおける標語的な印象を持っていて使用を避けていた「幸せ」ということばであるが、「幸福」と言い換えてみると、今のわたしはじつに幸福なのだと思い至った。持続してほしいと思っている現状にフォロワーとの交流はまちがいなく含まれている。隠し事をしてしまうような知人は遠ざけたいというだけであって、本当に孤独こそが至高なのだろうか。

 ここで、匿名性は脱秘密主義の条件ではないことを思い出す。これまで眼中に無かった実生活実人物での交際、ひいては同居や結婚といったイベント、関係性が成立しうるというのか。正直なところ、現在はネット上での交流以上のものがほしいとも思わないし、たとえば結婚が今以上の幸福を見せてくれるとは想像できない。ただし、わからないからといって全否定することもないのだ。

 相手に多くを求めるつもりはない。鴻上さんの言う「おみやげ」関係はひとつの理想だと思う。順番はどうあれ、先に死んだ方はありのままを遺し、後で死ぬ方はそれをありのままに受け取る。そんなひとが人生にひとりくらいいてもいいのかもしれないね。

toyokeizai.net